旧・旭川競馬場(北海道)
1947(昭22)年〜1975(昭50)年

当時、既にここ旭川には馬場があった

明治維新後の日本がまず直接的に脅威だったのが当時のロシア帝国
樺太千島交換条約などで北の国境は画定されていたもののロシアはその後も
強大な軍事力を背景に満州や朝鮮半島に触手を延ばし
黙っていれば大半が未開の地であった北海道への南下も明らかであった


ロシアが北海道に侵攻するとすれば大きく2つのルートが考えられた
海軍力を背景にした樺太ルートと千島ルート
地理的に正反対ともいえる両方のルートいずれにも対処するには、両側から均等の距離
つまり北海道のど真ん中に軍事処点を置くのが良いわけで
明治政府は北海道の開拓という事も同時に考え、屯田兵という手法で最強の部隊をつくり上げるため
旧、陸軍第七師団を送り込んだ
この部隊には軍馬も沢山いたが、旭川の冬は寒く雪も多い
屋内で馬を運動させたり乗馬の訓練などをしたりするためにも屋根で覆われている
覆馬場というものが必要であった

そして兵隊が訓練をした
練兵場もあった

1929(昭4)年:大蔵省が所管する国有地であったその地は運動場の建設を目的に旭川市に払い下げられ
その一部が旭川競馬場として誕生した


1946(昭21)年:”ばんえい競馬”が公式競馬として誕生する

1947(昭22)年:第一回旭川ばんえい競馬が開催される(主催:北海道北海道馬匹組合連合会
1948(昭23)年:競馬法改正により地方競馬が都道府県主催に移管され
ばんえい競馬は「
北海道主催」として受け継がれる

1951(昭26)年:さらに競馬法が改正され、競馬場所在地の市町村でも競馬を開催できるようになる

1953(昭28)年:北見市、岩見沢市、帯広市、旭川市の4市による
市営競馬が発足
同年:市営での
旭川競馬が開催される(主催:旭川市

道営による平地競馬と、市営による平地競馬・ばんえい競馬がそれぞれ併用して開催される


1962(昭37)年:
市営競馬による平地競走は廃止され、市営競馬はばんえい競走のみを開催するようになる


<昭和42年度・旭川市主催・連勝単式勝馬投票券>


やがて新たな運動施設の必要や、近文公園内にある既存
施設の老朽化が問題となり
旭川競馬場の土地をも取得し公園施設の全面的改修が行われた

1975(昭50)年:
移転というかたちで旧・旭川競馬場幕を閉じる


現在は市の施設、花咲スポーツ公園の一角で旭川乗馬倶楽部クラブが管理し乗馬体験に利用されている



北海道旭川市花咲町